山本昌200勝とアイク生原さん
その山本昌のエピソードでいつも思い出すのが、入団5年目に経験したドジャースへの米国留学です。
昨日、落合監督も言っていましたが、彼の場合は4年間勝ち星がなくクビ同然で米国へ渡ったのですが、そんな彼を助けたのが、当時ドジャースのオーナー補佐兼国際担当であったアイク生原(生原昭宏)さんでした。
アイクさんは、亜細亜大学の監督でしたが、その職を捨てて渡米。1965年のことですから、野茂がメジャー入りする30年も前のことです。用具係から叩き上げ、最後はオーナーであるピーター・オマリー氏の片腕とまで言われるようになりました。
アイクさんは、野茂のドジャース入団の道筋を作ったと言っても過言ではないのですが、アイクさん自身は、野茂の入団を見ていません。1992年に病に倒れ、55歳の短すぎる人生を終えたのです。
そのアイクさんの葬儀で山本昌は、人目をはばからず棺の前で泣き崩れたそうです。葬儀に参列した他の多くのプロ野球たちに抱きかかえられなければ立ち上がれないほど・・・
「他の留学生と違い、自分は入団5年目でロサンゼルスに送られ、後がない状態だったのに、アイクさんが試合でリラックスするコツや、チェンジアップやスク
リューを投げるタイミングを教えてくれたおかげで、自分は日本に戻って自信をもってプレーすることができたから、アイクさんから離れたくない思いが強かっ
た」
昨日の200勝を一番喜んでいるのは、天国のアイクさんかもしれません。
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コメント
やはり人との”出逢い”が大きく影響するんですね。
42歳での200勝達成には大いに拍手を送るべきなんですが、そのうち、我らがタイガースがどれだけ献上しているか・・・っていうのが頭をよぎると、素直に拍手できない私がいます。
私ったら、ケ○の穴の小さい男ですねぇ・・・^^;
投稿: PAT | 2008年8月 6日 (水) 00時49分
★PATさん、ありがとうございます。
我が巨人も、ずいぶん貢献していますヨ
200勝目もジャイアンツでしたし・・・笑
投稿: 少年野球コーチ | 2008年8月 6日 (水) 06時10分