トリノ・オリンピックは、今一つの盛り上がりですね。昨日は、ジャンプ・ラージヒルが行われましたが、長野オリンピックのような日本人選手の活躍は見られませんでした。
長野のジャンプ競技で、テスト・ジャンパーを務めた高橋竜二選手をご存知でしょうか?オリンピック前には話題になりましたから、覚えていらっしゃる方も多いかもしれませんが、彼は難聴のジャンパーでした。
北海道では、小学生のころから少年団を結成してアルペン・スキーやノルディック・ジャンプを練習しています。「○○ジャンプ少年団」というのがいたるところにあり、そうした中からオリンピック選手が育っています。こちらで、少年野球を地域ぐるみでやっているのと同じです。
高橋くんは生まれつき耳が聞こえませんでしたが、少年のころからやはり地元のジャンプ少年団に所属していました。当初はアルペン選手を目指したそうですが、スタートの合図が聞こえないのでやむなくジャンプに転向したのだとか。でも、ジャンプも「風の音を聞きながら競技する」と言われるほど、音は重要な要素なのだそうですが、彼はそのハンディを克服しようと“チャレンジ”したのです。
ジャンプを始めた当時を振り返って高橋くんは、次のように語っています。
「少年からの少年時代は耳が聞こえないということに他の人が理解してくれなかった。ますますミジメっていうか、孤独感が強くなっていった。でもジャンプをはじめてから周囲の人も理解してくれますよネ。心も何か開いていくような感じで・・・。「耳が聞こえないこと」を恐れないで、自分が他の人と同じと思って行動すれば、周囲の人も認めてくれるっていうか、わかってくれますよネ。」
ジャンプ少年団という育成プログラムがあると言っても、そんなに指導者層が厚いわけでもありませんし、コーチの方々もみな身内みたいなものですから、ジャンプに携わっている人はみな小さなころから高橋くんを応援していました。
しかし、高橋くんは当時の原田や葛西、船木といった代表選手など多くの選手が所属する企業には就職しませんでした。いや、できなかったのかもしれません。彼は、北海道高等聾学校専攻科歯科技工科という学校を卒業して、将来の生計をたてるために「歯科技工士」として働いていたのですが、競技には個人エントリーできないため、就職先の支援を受け「水戸歯科スキークラブ」所属選手として出場していました。
長野オリンピック直前の「STV杯」。代表はほぼ決まっていましたが、残りの代表を選ぶ重要な大会でした。その大会で、高橋くんは1回目首位に立ちます。2回目は途中で1度キャンセルになるほどの強風の中行われたのですが、1回目首位の高橋選手は最終ジャンパーです。勝てば、もちろん初優勝です。
前述したようにジャンプの競技関係者はみな身内みたいなものですから、コーチや競技スタッフはもちろん、スターターや場内アナウンサーも、高橋くんが小さい頃から応援してきた“仲間”です。大会前の「残る代表は誰?」なんてことはもうすっかり忘れて、高橋くんの初優勝をみな祈っていました。
そして、高橋くんのジャンプ。・・・130mの最長不倒、見事に初優勝を決めるジャンプでした。
ジャンプは成績の悪い順で飛ぶのですが、この時は強風でキャンセルのため“飛び直し”しなければいけない選手が、実質優勝を決めた高橋くんの後に控えていましたので、場内アナウンサーはその選手の名前を呼ばなければいけません。しかし、アナウンサーは放送ブースの中で感激に咽び泣き、次の選手名を暫く告げることが出来ませんでした。ベテラン・スターターの方も、選手仲間も他チームのコーチも、そしてご両親も・・・。テレビのアナウンサーも声を詰まらせていました。私もこのジャンプ大会を見ていましたが、場内の誰もが感激していたのを覚えています。・・・その時の2位は、今回のトリノで8位入賞を果たした岡部選手でした。
この大会で高橋くんは優勝したのですが、残念ながら長野の代表には選ばれませんでした。しかし、長野オリンピック本番では、競技続行が危ぶまれた強風の中、テスト・ジャンパーとして131mの大ジャンプを見せ、競技が再開され、日本の金メダルへ貢献したことはあまり知られていないかもしれません。しかも、競技再開後、131m以上飛んだ選手は誰もいなかったことも・・・。

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