さすがに「師走」というだけあって、普段はのんびりと仕事している(部下任せの?)私も年の瀬は何かと忙しいです。どうしてこうも12月にトラブルが集中するのでしょうかね?毎年の事ですが、不思議です。
・・・そんな年の瀬ですが、娘は来年、高校受験です。最近、「受験日程」やら「推薦願」を書かされて、親としてはやっと実感が湧いてきました。幸い2学期の成績もよかったみたいですけど、最後まで分からないのが受験でしょうから、何とか頑張って欲しいものです。
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昨晩帰宅すると、思いがけない訃報が飛び込んできました。名将仰木さんが、呼吸不全のため亡くなりました。
仰木さんと言えば、一番印象に残っているのが88年の「10.19」。ロッテとのダブルヘッダーとなった最終戦に優勝を賭けて戦い、時間切れ引分けで優勝を逃した試合です。今では語り草となった試合ですが、西武黄金期に敢然と挑んだ近鉄は、まさに「西鉄野武士軍団」を彷彿とさせるものでした。
仰木さんは野茂を育て、イチローを見出しました。今や、メジャーでもスーパースターとなった彼らの原点が仰木さんと言っても過言じゃないかもしれません。事実、野茂は監督が代わった翌年には、日本球界を捨てたわけですし、イチローにしても前監督の元では見出されなかったのですから。
今日の日経新聞に、豊田泰光さんが仰木さん追悼に際し「寡をもって衆制す名将」と題して寄稿されていますが、その中で仰木さんが「名将への一歩を踏み出した」エピソードを紹介しています。
-----以下引用-----
三原さんが監督を務めた近鉄に行き、仰木君は二十年近く、コーチを務めた。西鉄の栄華も遠く、彼も目立たない存在となったが、近鉄-広島の1980年日本シリーズ第3戦。彼は名将への一歩を踏み出した。
近鉄の先発・村田辰美が好投、2-1とリードした五回、近鉄・西本幸雄監督が代打を送ろうとする。そのとき三塁コーチスボックスの仰木君がベンチに駆け寄り「なぜ代えるんですか。点が入らなかったらどないするんですか」と監督をいさめた。
スタンドでみていた私は思わず喝采を送った。代打を出した近鉄はこの試合を落とし、日本一を逃したが、いつも「ナンバー2」で来た彼はこの瞬間、名将への足がかりをつかんだ。
-----引用終わり-----
今シーズンも終盤まで西武とプレーオフ進出争いを繰り広げましたが、仰木さんの身体はすでに癌に冒されていたようです。最後まで野球に身を捧げた「野武士」のご冥福をお祈り申し上げます・・・
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