「息子のこと」

2006年3月 1日 (水)

「息子のこと」(おまけ)

 娘の高校受験がやっと終わり、無事「高校生になれる」ことになりました(まだ、チームの3年生の結果が聞けていないので、まだヤキモキしていますが)。受験の最中、一番やきもきしていたのは妻ですが、これで少しは気が晴れるでしょうか。

 「息子のこと」で書いたように、私は妻には頭が上がりません。しかし、息子の「少年野球」という楽しみがなくなってしまった妻は、最近どうも「韓流」に新たな楽しみを見い出してしまっているようで、私は少し閉口しています。

 妻は大の社交家で、友達も沢山います。「お喋り大好き」の典型的な“おばさん”です。・・・でも、この“典型的な”というタイプが危ないんですよね。(笑)

 1年ちょっと前、それまで「韓国ブーム」などには全く興味がなかったですし、「冬ソナ」を熱心に見ていたわけではなかったのですが、急に「韓国に遊びに行く」と言って友人3人と韓国旅行に行ったのが間違いでした。帰ってきてからは、すっかり「韓国」にハマッてしまいました。

 「冬ソナ」、「チャングム」はもちろん、あらゆる韓国ドラマを見まくり、“ナントカ”という歌手の大ファンだそうです(お友達の娘さんが歌詞を書いているのだとか)。さすがに成田までは“追っかけ”はしませんが、やれコンサートだ、やれDVDの発売だと言っては大騒ぎをしています。

 まぁ、「息子の野球」という楽しみがなくなってしまっていますから、これも仕方ないと思って私はあきらめています。(笑)

 娘の受験中でしたから多少は“自粛”していたのかもしれませんが、これからまたTVを妻が占領してしまう日々が来るのでしょうか?

 もうちょっと、「娘の受験」が続いてくれてもよかったかも・・・。

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2006年2月18日 (土)

息子のこと(最終回)

 その後、最終学年の試合結果は・・・、春の都大会はやはり実力どおり1回戦負け。第1シードで臨んだ夏の区予選は3回戦で「0-1」の惜敗、チーム全員悔し涙でしばらく立ち上がれませんでした。クラブチームでは、準優勝2回、3位1回、優勝2回。中学生活最後の大会は優勝で有終の美を飾り、息子はその大会で「最優秀選手」に選ばれる名誉まで頂くことができました。

 最後の大会、表彰式で「最優秀選手は・・・」と呼ばれた時には、やはり息子以上に私が感激したのは言うまでもありません。(笑)

 その後、チームメイトはそれぞれの進路を歩んでいます。エースOY君は、軟式ですが入学した高校で1年から背番号「1」を背負って頑張っています。息子を野球に誘ってくれたNY君は、現在北関東の某高校へ野球留学し、ショートのレギュラーを掴み取っています(甲子園まであと一歩!)。本文には出てこなかったのですが、副キャプテンとして息子とともにチームをまとめていたIS君は、今年南関東で“騎手デビュー”の予定です。クラブチームでエースだった子は、高校で陸上へ転向し、今や陸上部のキャプテン。他のチームメイトも何人かは、息子と同様に野球を続けています。・・・みんな落ち着いたら一度、「同窓会」でもやろうと思っているようです。

 

 息子の野球経験は、「甲子園を目指そう」などと言うレベルにはとてもありませんでしたし、本人もその実力は全くありません。でも、小さな目標をひとつづつクリアしながら、また次の目標に向かって努力を積重ねていくことは出来たと思います。甲子園なんて夢の夢ですが、私はこれで満足です。

 たまたま息子は、小学校のころからの努力が実を結ぶ場面があったのかもしれませんが、やはり結果が出ない時には「焦り」もありました(父親のほうが?)。でも、努力しなければ結果は生まれなかったと今でも信じていますし、“努力したこと”を含めて「野球」だったと思っています。

 高畠宏導さんの言葉、「平凡の繰り返しが非凡になる」。・・・野球のレベルは到底及びませんが、私にとってはとても勇気づけられる言葉です。

 今年高3の息子は、今でも高校野球をやっています。中学校以上に「弱小チーム」ですが、弱音を吐かずに頑張っています。最終学年ですから、春の大会と甲子園予選の2大会を残すのみですが、自分もチームも思い通りに上達できていないようです。もはや、私が指導することもありませんが、最後の年にいい思い出を作って終わって欲しいと切に願うばかりです。

 息子がケガをしてからここまで、色んな方に助けられました。丁寧に長期間に渡って肩の治療をして頂いた病院の先生、幼稚園でいじめられっ子だった息子を厳しく指導して頂き、最後は集団演技のリーダーにして下さった元自衛隊先生、野球が下手くそな息子に大きな自信とともに「ゴールデングラブ賞」をくれた小学生チームの監督、捕手として根気よく使ってくれた中学チームの監督、リーダーシップの大切さを教えてくれた中学野球部顧問の先生、息子を我が子以上に親身になって教えてくれた(息子を野球に誘ってくれた)NY君のお父さん、野球の厳しさを教えてくれたFコーチ、カミさん、そして一緒に戦ったチームメイトのみんな・・・。ちゃんとお礼を言ったことのない方も大勢いらっしゃいますが、本当に感謝しています。

 --------

 私は「何故、息子が急に野球を始めるようになったのか」ずぅ~っと不思議に思っていました。最近、妻と話す機会があったので、そのことを聞くと意外な答えが返ってきました。

 妻は、息子のケガがまだ完治しなかった時でもずっと、「いつか野球をやらせたい」と思っていたそうです。やはり息子たるもの、父親と上手くコミュニケーションすることが絶対必要だと考えていたのだそうです。ですから、私の生活が荒れていた時でも、折に触れて息子に「お父さんは野球の選手だったんだよ。大学ではキャプテンまでやっていて、上手なんだよ」と吹聴していたそうです。それ以外でも、子ども達にはいつも「お父さんは立派だ」ということを“マインド・コントロール”していたんだとか・・・。

 あの頃を振り返ると、とても恥ずかしくて「立派」なんて言葉は出てこなかったはずですけど、いつも妻は家庭と子どものことを考えてくれたと思うと、胸が痛くなりました。そんなことにも気がつかず、知らなかった自分が腹立たしくもあります。

 私は自分のブログを始めた時、自分の息子や娘のことはなるべく書かないようにしようと思っていました(ネタがない時、ついつい書いてしまいますが)。それが今回、息子のことを書き残そうと思ったのは、妻から聞いた「息子の野球好きの秘密」がキッカケでした。

 ・・・本当に、妻には一番感謝しなければいけません。

 (おわり)

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2006年2月17日 (金)

息子のこと(8)

 息子の中学校野球部は、春に顧問の先生が転勤となってしまいました。とても素晴らしい先生でしたから、キャプテンを務めていた息子は、相当困惑していました。

 仕方なく、春休み以降は“顧問不在”のまま、生徒達だけで練習をしていたようです。秋以降、野球部でピッチャーを務めていた(以前、「子どもは突然上手くなる(2)」で紹介した)OY君が急成長していましたから、公式戦は楽しみでしたが、この時期の“顧問不在”は痛かったです。

 そして迎えた春の大会(中体連区大会)。新しい先生に急遽顧問となってもらいましたが、殆ど野球経験はありません。しかも、トレーナー&Gパン姿でベンチ入りするような先生でしたから、選手の不安は尚一層大きくなったかもしれません。・・・でも、それが逆効果を生み、選手が一丸となったのです。

 まず1回戦。いきなり強豪校と当たりましたが、堂々のエースに成長したOY君が相手打線を完封、サヨナラ・スクイズが見事決まって初勝利。この勝利で波に乗りました。

 2回戦は比較的楽勝でしたが、3回戦は2点差をひっくり返しての逆転勝ち。準決勝は、延長11回を戦い抜いて、これまた逆転勝利。ついに○○スタジアムでの決勝戦となりました。

 決勝の相手は、前年の秋に1回戦で完敗した区最強と言われた中学校です。しかも、ここまで息子の中学校は、エースOY君が独りで投げ抜いてきており、日程的にもかなりきつかったので、圧倒的に相手有利でした。秋に戦っているので、相手がどのくらい強いかも分かっています。

 そして、決勝戦。やはり、エースOY君の疲れからか、いきなり2点を先制されてしまいます。こちらも、相手投手に完全に押さえ込まれ3回まで無得点。でも、絶対諦めない。中盤からベンチの声は、負けている息子の中学校の方が大きくなります。必死で食らい尽きます。・・・そして、その諦めない姿勢が遂に実を結び、5回に同点に追いつき、6回には小学校で息子を野球に誘ってくれたNY君が、執念のライト前タイムリーで逆転。

 最終回は、OY君のフォーク・ボールが冴え渡り三振でゲームセット。○○中学校30年振りの優勝、まさかの優勝でした。息子は、このときの話を卒業文集に書いていますが、これが彼のそれまでの野球生活の中で一番の思い出だったはずですし、「やれば出来る、努力は実を結ぶ」と本当に実感した出来事だったかもしれません。

 転勤した前顧問の先生も応援に来てくれましたし、我がチームの監督・コーチ、そしてクラブチームのチームメイトもみんな来てくれていました。息子はこの大会で、ずっと3番を打たせてもらっていましたが、極度の打撃不振。しかし、応援に来てくれたみんなの前では、打てなくても「このチームをここまで引っ張った」という自信に満ち溢れた大きな声で、でも泣きながらお礼を言った姿が、今でも目に焼きついています。

 私はと言うと・・・、もう涙は出ませんでした。「結果に相応しい努力をしたこと」を褒めてやったのですが、野球に関してこの時初めて息子を褒めてやったような気がします。

 (つづく)

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2006年2月16日 (木)

息子のこと(7)

 2年生秋からは最上級生です。ここまで、チームとしても力をつけてきており、エースも殆ど他を寄せ付けないくらいの速球を投げるまでになっていましたし、内野守備も小学校時代のエースNY君を中心に鉄壁と言ってもいいくらいになっていました。

 息子はというと、「リーグで1番」とまではいきませんでしたが、2年の秋には相手チームは殆ど盗塁をしてこなくなりました。打順は6番あたりを打つことが多かったのですが、小学校では1本も打てなかったHRも打つことができました。

 秋のリーグ戦は全勝で優勝し、トーナメント大会も危なげなく優勝。区大会も準決勝で優勝したチームに惜敗こそしましたが、3位の好成績を残すことができました。

 息子は、我がチームと同時に中学校の野球部にも所属していました。クラブチームは1学年18名の大所帯でしたが、4つの中学校からの寄せ集めチーム。一方で中学野球部はと言うと、3年生が8名(クラブチームからは6名だけ)しかいませんでした。クラブチームでエースの子も入部していませんでしたから、クラブチームに比較するとかなり「弱小チーム」でした。

 中学野球部では人数も少なかったので、息子はキャプテンに選ばれました。・・・キャプテンとしての息子を見てみたい気持が抑えきれず、初の公式戦が行なわれた平日、私は会社を休んで試合を見に行きました(親バカです)。試合前、ベンチで気勢をあげ、大きな声で部員を鼓舞する姿を見て、恥ずかしながら少し涙ぐんでしまいました。打順は何と「3番」(人数が少ないという事情ならではですが・・・)。

 ケガをして、泣きながら応急措置に耐えていた息子の姿。小学校のころ、ボールをまともに投げられない息子に罵声を浴びせ、泣きながらノックを受けてた息子の姿。キャッチャーを覚えるために、懸命にノックを受ける姿。肩を鍛えるために懸垂と腕立て伏せを、毎日欠かさず続ける姿・・・。いろんな場面を次々と思い出しながら、「そんな息子がまさかキャプテン、しかも3番を打っているなんて」と思い、泣きました。

 ネット裏の私の隣で見ていた中学生が、息子の2塁送球を見て「お~ぅ、ヤベェ~ぞ、あれ!」と言って、息子の肩の強さに驚いていたのを見て、ほくそ笑んでいたのもよく覚えています。(笑)

 試合は、区で最強と言われていた中学校相手に完敗、見事1回戦負け。でも、この時の負け試合が、後からの伏線になるとは、その時誰も思ってもいなかったのです。

 (つづく)

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2006年2月15日 (水)

息子のこと(6)

 息子が中学チームに入ると、私も中学のコーチに専念することになり、これで、思う存分息子を鍛えることができる環境が整いました。

 中学チームは、息子のように小学部からだけではなく、3つのソフトボール・チームからも入部してきます。小学校チームでは極端な部員不足でしたが、中学では一気に同級生が増え18人。今までは黙っていても試合に出られましたが、これからは熾烈な競争が始まるわけです。

 ソフトボール・チームからは有望な選手も多く入部してきました。中学入学時に既に120km投げられる大型投手、センス抜群のサウスポー、ゴロ捌きとフットワークが素晴らしい内野手、そして小学部のエースNY君・・・。チームとしては楽しみでしたが、我が息子は守るところがありません。

 最初は小学生のころと同じようにファーストを守っていたのですが、回りと比較するとどうしても見劣りしてしまいました。・・・ところが、中学生になってメキメキと身体が大きくなってきて、一番の弱点だった肩も目に見えて強くなっていきました。

 中1の夏の合宿、Bチームとして練習試合をしたときのことです(前述の上手な1年生は、既にAチームで活躍していました。)。人数の関係で息子はショートを守ることに。全く練習なんかしたことありませんでしたが、無難にゴロを捌き、しかもショートの深い位置からファーストまでノーバウンド送球。見ていた監督もビックリしたことを、今でも思い出します。

 

 1年の秋からは、新Bチームを1年生だけで組むことになるのですが、このチームの弱点は「捕手候補の不在」でした。私は、肩もそれなりに強くなってきた息子を絶対に捕手にしようと、密かにたくらみました。まずは、クラブチームと同時に入部していた中学校の野球部で捕手をやらせてもらうように息子に仕向け、毎日ひたすらフリーバッティングの捕手をやらせました。

 うちの監督は小学校からの「弱肩」の印象が強いのか、セカンドあたりで起用しようと思っていたらしいのですが、私の進言もあったのですが「じゃぁ、一度使ってみるか」ということに。

 そして迎えた秋のリーグ戦・・・、惨憺たる結果でした。120km投げる投手がいても、やはりバッテリーとしては未熟でしたから、やはり上級生相手では通用しません。しかも、他の1年生チームにも勝てず、1勝あげただけの最下位でした。「捕手が弱点」ということは明確でした。

 こうなると、私は「息子のため」と言うよりも「チームのため」に、捕手を鍛えなければなりません。やはり、まずは肩の強化です。オフの間、懸垂・腕立て・チューブトレーニングなどで肩の筋肉を作り、ランニングとスクワットなどで下半身強化、硬式バットと硬球を使ってティー・バッティング・・・、チームメイト何人かで毎日練習です。

 チーム練習の時も、徹底した捕手練習をこなしました。プロテクターをつけたまま、近距離でノックをしてワイルド・ピッチを防ぐ練習をし、2塁、3塁への送球を繰り返してフットワークを身体に染み込ませ、ミットが落ちないキャッチングをマスターさせました。

 丁度、身体が大きくなる時期でもありましたから、1年生のオフのこのトレーニングは実に成果がありました。翌春には、スローイングもバッティングも見違えるようになったのです。

 迎えた2年生の春のリーグ戦、開幕戦は同じチームのAチーム(3年生)でした。Aチームは優勝候補の筆頭でした。いきなり初回にBチーム(2年生)が1点を先制し、尚も2アウト満塁で息子の打席。3年生エースの初球を叩くと、強烈なライナーで左中間真っ二つ。2打点を上げました。・・・結局、この試合は3-3の引き分けでしたが、このリーグ戦でAチームが失った唯一の勝ち点でした(Aチームは11勝1分で優勝しました)。

 春のトーナメントも、準決勝で上級生チームに敗けこそしましたが、3位となることができました。息子も、捕手として確実にレベルアップできましたし、やっと「小学校からの練習の成果が出てきた」と感じた、初めてのシーズンでした。

 (つづく)

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2006年2月14日 (火)

息子のこと(5)

 5年生になって試合に常時出るようになりましたが、これは上手いからではなくて、部員が少ないからでした。入団を誘ってくれたNY君は「エースで3番」、息子は6番くらいを打っていましたが、5年生はこの二人と外野のOY君(以前紹介した「子どもはある日突然上手くなる(2)」)と幼稚園で息子をいじめていたTT君(でも受験のため5年で辞めてしまいました)、それと控えのTY君(以前紹介した「忘れられない選手」)だけ。みんなNY君の誘いで息子と一緒の時期に入団してきた子です。あとは全員4年生で、6年生は部員ゼロ。

 エースNY君は5年生ながら速い球を投げ、それなりに試合にはなっていましたけど、「一人で投げて一人で打って」という典型的なワンマンチームでした。(NY君自身は決してワンマンなんかではなく、素晴らしいキャプテンでしたけど。)

 息子と言えば、まだ塁間がやっと届く程度しか投げられません。(やっぱり、肩のケガが影響しているのかなぁ)とも思ってしまいました。ですから、とてもサードやショートは守ることはできず、ただ、私とのキャッチボールでボールを受けることだけは上手くなっていましたから、ファーストを守ることに。

 野球オヤジとしては、「息子がファースト」はどうも納得がいきません(今から考えるとバカ親ですが・・・)。密かに、サードの練習もしました。・・・でも、ゴロ捌きは教えれば上手にできるのですが、どうしてもファーストまでの送球ができません。肩の強さだけは、4年生にも圧倒的に負けていたのです。結局、塁間を満足に投げられるようになったのは6年生の後半から。とうとう最後まで、ファーストのポジションを人に譲ることなく卒業しました。

 チームとしても、エース一人だけが頑張っていて、レギュラーの大半が下級生でしたから、一度も優勝を味わうことなく、と言うか全く不甲斐ない成績で小学校チームは卒業することになりました。私としても、“よくやった”という思いよりも、“あんなに練習したのに”と悔しい思いのほうが強かったかもしれません。結局、肩は弱いままでしたし、バッティングにしても、たまに2塁打が出る程度で、「HRで1周してベンチでハイタッチ!」なんて経験は夢の夢って感じでした。

 そんな思いで参加した卒団の納会の時です。・・・小学校チームの監督は、どんな選手にも「賞」をくれます。HRを沢山打った子には「本塁打賞」を、足の速い子には「盗塁賞」を、バントが上手な子には「チーム貢献No1賞」なんて賞をくれます。毎回練習に参加して試合に出られなくても、いつも懸命に応援していたTY君には「最優秀選手賞」をくれました。

 息子にも賞を用意してもらっていたのですが、その受賞の時監督から「○○(息子)は、チーム始まって以来、3本の指に入るくらい上手なファーストでした。どんなショートバウンドも捕り、どんなハーフバウンドも身体で止める、素晴らしい守備でした。」と言って、『ゴールデングラブ賞』を頂きました。

 私にとっては、“チームに何の貢献もできなかった”という思いでいましたから、息子以上に嬉しい「賞」でした。「3本の指に入る」というのは、かなり誇張もあるでしょうが、息子にとってはものすごい自信になったようです。そして、「中学ではやってやるゾ!」という気持ちがメラメラとしてきたのかもしれません。

 (つづく)

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2006年2月13日 (月)

息子のこと(4)

 息子の野球体験初日、「ゴールデンウィーク中の“こどもの日”に、チームのレクレーションがあるので、是非参加して」とお誘いがありました。楽しい球遊びをさせてもらった息子は、既に入団する気持ちが固まっていましたし、ゴールデンウィークと言っても何もすることもなくダラダラするつもりだった“だらしない生活”が染み付いていた私は、もちろん参加することにしました。

 そのレクレーション当日、それまでは水筒にチューハイを作って、ビールとおつまみを買い込んで、家族でトゥインクルレースへ行ったことはありましたが、朝からお弁当4人分と水筒を持って河川敷の球場に行くことになった我が家では、一番妻が張り切っていたかもしれません。

 息子は低学年の中に混ぜてもらい、いきなり試合で楽しみ、まんまとチームの勧誘作戦に乗ってしまいました。(笑) 私も、「○○さん、野球やっていましたね?」とすぐに正体がバレ、その場でコーチ勧誘され、コーチが不足している中学部へも行ってほしいと頼まれてしまいました。

 久々に感じる芝生の匂い、金属バットの乾いた音、そして泥だらけのユニフォーム・・・、もうこうなったら野球のムシがむっくりと身体の中で起きだし、どこにも断る理由は見当たらなくなりました。

 入団したチームは、前年に区大会で優勝していた強豪チームでしたが、残ったメンバーは人数も少なく苦戦が続いていました。しかし、誘ってくれた同級生NY君(4年生)は、既にAチームの「1番サード」で活躍していましたし、6年生まで入れても内野の守備は一番上手かったと思います。

 それに比較しては可哀相ですが、息子はろくにキャッチボールも出来ませんし、ゴロなんて捕ることができません。投げる格好は不恰好ですし、バットの握り方さえ知りませんでした。「入団するって簡単に言っちゃったけど、もう4年生だし、追いつくのは大変だな・・・」

 6年生が引退すると、この部員不足ですから、どうしたって来年からは息子が試合に出ないといけない訳で、やはり野球をやるからには勝ちたいし・・・。ここから息子と私のマンツーマンが始まります。

 まず、グローブとバットを買うことにしました。もうすっかり野球のムシが目覚めた私は、レクレーションの帰り道には近所の野球専門店に行ってグラブ選びです。「どうせ買うなら、いいグラブを」・・・当然ですよね。結局、硬式用の皮で作ったその店のオリジナルのグラブ(内野手用)を買いました(結構高かったのですが・・・)。少年用のバットはよく分かりませんでしたから、店の人の言うなりにミズノのバットを買いました。

 チームの練習は日曜しかありませんでしたから、土曜日は終日、普段の日も早く帰宅できたら素振りの自主練習です。バットの振り方を1から教え、土曜校庭開放の小学校のグランドの隅でノックを延々やりました。(本当は禁止でしたが、遊ぶ子どもがいない時に当番のPTAさんに頼んで・・・)

 教える方も段々と熱くなり、我が子だということもあって、罵声飛び交いながらの“超スパルタ”だったと思います。息子が泣きながらノックを受けても、決して許しません。完全に“星一徹状態”でした。素振りもそうでした。当時はバッティング・グローブをつけてなんて考えもしませんでしたから、手のひらがボロボロになるまで振らせました。・・・今から考えると、随分可哀相なことをしていたと思いますけど、当時は必死だったのと、息子と野球ができる喜びで一杯だったのです。

 それでも息子は、一度も「もう辞めたい」と言ったことはありませんでした。高校野球をやっている現在まで一度も・・・。

 (つづく)

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2006年2月11日 (土)

息子のこと(3)

 小学校へ入学して息子の肩はもうすっかり治ったようでしたが、定期検査へいくと「まだ今無理すると、将来の成長に影響する」と言われてしまい、野球はおろか鉄棒も禁止でした。やはりまだ「右肩が下がっている」状態のようでした。

 でも、やはり身体を動かさなければと思い、休みの日には近くの公園へ行ったりもしました。当時はJリーグが開幕したこともあり、公園ではサッカー遊びが花盛りでした。息子も友だちに混じってサッカーに興じていましたが、やはりここでも“おいてきぼり”。走るのも、ボールを蹴るのも気後れ気味でした。

 私はと言うと、いつも手持ち無沙汰の休日が続いていましたから、友人に誘われるまま朝から競馬場へ通うのが習慣になっていました。競馬場へ行かない休日は、午前中JRAの場外で馬券を仕込み、午後から家で競馬を観戦し「あぁ~、又損した」と言っては、家族サービスと称して家族総出で夜の「トゥインクル・レース」へ行ったりもしました。・・・荒れた生活でした。

 息子は2年生の頃から、お医者さんのお許しが出たので「スイミング教室」に通い始めました。幸い、息子は公園でサッカーをしてても、スイミングでも「自分は下手だ」という自覚がなかったので、何事も一生懸命に取組みます。これは多分、幼稚園の体育講師の先生のお蔭だと思っていますが、何に対しても真摯に取り組むことが身についていました。

 スイミングでも、決して人より上手く泳げるわけではありませんでしたが、やはり練習を続けると速く泳げることがわかり、クラスが上がる(タイムトライアルをパスする)競争も経験し、少しづつですが変わっていったようです。

 スイミングの影響がよかったのか、3年生の秋頃にはやっとお医者さんの「もう大丈夫」の“お墨付き”も頂きました。ところが、私は全く「野球」なんてもう頭の片隅にもありませんでしたから、相変らずの競馬と深酒の毎日が続いていました。

 そんなある日、近所の学校の友だちが「○○ちゃん、野球やらない?」と妻を通じて誘ってくれたのです。後から事情を聞くと、その少年野球チームは、やはりサッカー人気に完全に押されていて、極端な部員不足。4年生は、その友だち以外誰もいない状況だったので、とにかく誰でもいいから誘いまくっていたようです。

 妻は、息子の身体を考えると不安だったかもしれませんが、とにかく私の“だらしない生活”を何とかしたかったのか、「ねぇ~、今度の休み、○○を野球に連れてってあげてよ」と私にけしかけたのです。

 妻は、社内野球チームのエースで業界内の大会で優勝、最優秀選手だった私の勇姿に惚れて結婚したので(優勝、MVPは本当ですが、その姿に惚れたかどうかは不明です。笑)、ブクブクと太った今の姿と“だらしない生活”には耐えられなかったのかもしれません。

 息子が4年生になったばかりの4月終り、初めて息子を野球の練習を見に連れて行った日は忘れられません。フェンス越しに見た揃いのユニフォーム姿、ノックを懸命に追う子どもの大きな声、それを鼓舞させるかのようなコーチの掛け声・・・、「やっぱり野球はいいなぁ」。

 見学していた私たち親子をすぐに見つけてくれたのは、今も低学年専属のCコーチでした。「こっちでノック受けてみるか?」・・・息子は大きな声で「ハイ」。(お前、野球なんか興味あったのか)と不思議に思いましたが、とにかく嬉しい「ハイ」でした。

 そして、この時から私と息子の「野球生活」は始まったのです。

 (つづく)

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2006年2月10日 (金)

息子のこと(2)

 手術も無事終わり、結局1ヶ月余り入院しました。妻は、当時住んでいたマンションの大家さんに、当時まだ小さかった娘を預かってもらいながら、毎日の病院通いでした。退院後、右上半身を覆ったギブスを外すために使う電動ノコを見て大泣きで抵抗したのは、今となっては笑い話ですが、何とか普通の生活に戻ることができました。

 とは言っても、入園したばかりの幼稚園へ通うのはすぐには無理で、夏休み前ころに初めて幼稚園へ行くことができました。もともと私は転勤族だったので、幼稚園には息子の友達が一人もいませんでしたし、息子は3月の早生まれで身体も小さかったこともあり、上半身に固定具をつけた小さな“新参者”は当然のように“いじめられっ子”だったようです。園庭のプールで遊んでいても、水が怖くて先生に泣きながらしがみつき、お弁当を食べる時もいつも最後まで一人で残っていたそうです。私も父親参観などで息子を見る機会がありましたが、身体の大きな子にからかわれている我が子を見るのは辛かったです。(この時からかっていた子が、後のチームメイトになるのですが・・・)

 息子が通っていた幼稚園は、外部から専門の体育講師を招いており、体操・体育にかなり力を入れていました。その講師の方は、自衛隊体育学校の出身だったそうですが、何よりも「規律」を重んじていました。ですから、運動会での集団演技などは本当に素晴らしく、「組体操」などは今の中学生がやるよりずっと統制がとれており、素晴らしい演技でした。

 年長になった年の運動会を見に行ったとき、「今年も組体操が楽しみだな」と思っていたのですが、その時の組体操は本当に感動しました。演技の一番最初、代表の子が一人園庭を走り抜けてトラックの端にきて、人差し指を上に大きく掲げて「ポイント」をつくり、その子の大きな掛け声を合図に全員がそのポイントへ駆け寄って演技が開始されるのですが、その代表がなんと息子だったのです。

 息子はそんなこと一言も言っていなかったので、私も妻も驚きました。身体も小さく、いじめられっ子だった息子が・・・、むちゃくちゃカッコよかったです。どうして代表に選ばれたかは分かりませんが、もしかしたら“元自衛隊”先生の、いじめられっ子への計らいだったかもしれません。私も必死でビデオを回していましたが、ファインダーが曇って見えませんでした。妻も隣で俯きすすり泣いていましたが、「やっとこれでみんなに少し追いついたかもしれない」と思っていたのかもしれません。私も、自分の不注意でケガをさせてしまったという罪の意識が、少し楽になったような気がしました。

 そんな幼稚園生活もあっという間に終わり、小学校へ入学するのですが、肩の検査は退院後も毎月のように行われていました。小学校に入ってからも半年に一度のペースでしたが検査は続きました。まだ、「スポーツするのは問題なし」というお墨付きは頂けませんでしたが、もうこの頃には私は「息子の野球」はすっかり諦めていました。

 (つづく)

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2006年2月 9日 (木)

息子のこと(1)

 うちの愚息は今年高校3年生。小学校から始めた野球を今でも続けていますが、“真剣にやる”野球は今年で最後になるかもしれません。

 --------

 野球親父の私は、ご他聞に漏れず「息子ができたら間違いなく野球」と考えていました。息子がまだ歩き始めたころには、ヤンキースのユニフォームを模したパジャマを着せ、走り回れる頃になるとオモチャのグラブとバットで遊ばせる、典型的な野球親バカでした。

 幼稚園に通い始めた春のある日、悪夢が襲いました。・・・日曜日の朝ごはん、テレビを見ながら食べていた息子は、テレビを自分のほうへ向けようと小さな身体で台の上のテレビを動かし始めました。ところが、28インチのテレビが台の上から落ちてしまい、息子はその下敷きになってしまったのです。大泣きする息子、絶叫する妻・・・。運悪くテレビは右肩を直撃、急いで救急病院へ連れて行きましたが、やはり肩の関節を骨折していました。

 その病院の先生の見立てによると、肩の骨の先端(関節に接している丸くなっている部分)が割れてしまっていて、手術をして骨を固定しまうと(軟骨部分の)成長線を刺激してしまって、その後の骨の成長に影響してしまう恐れがあるとのこと。それで手術をするのはやめ、局部麻酔をしたまま、先生がレントゲンを見ながら、割れた骨を、パズルを組み立てるように、まるで壊れた人形の腕を治すが如く悪戦苦闘。・・・でも、やはり上手くいきません。

 その救急病院ではそれ以上の措置ができないので、某大学病院へ入院することになったのですが、そこでも“壊れた人形の腕を治す”作業は延々行われました。将来の骨の成長のためとはいえ、局部麻酔だけでこの措置を延々耐えている息子の姿を見るのは、まさしく地獄のような苦しみでした。泣き叫び、もがき苦しむ息子。それをただ措置室の外で待つ私と妻。・・・今思い出すだけでも、いたたまれなくなります。

 結局この方法では骨が上手く嵌らず、後日に手術をすることになったのですが、病室で息子は腕を吊り下げられたまま自由もきかず、夜には一人で寝なければなりません。小児病棟ではなく整形外科でしたから、周りは重症の大人ばかりです。

 手術はやはり切開をしないで(前回と同じ方法で)治そうとして頂いたらしいのですが、結局は切開をしました。手術室から出てきたのは夕方、6時間にも及ぶ長時間の措置でした。息子の右肩には今でも関節の周りにグルっと大きな手術の跡が残っています。

 手術が終わりしばらく経って、主治医の先生からお話を頂きました。「将来は、右の腕と左の腕の長さが違ってくるかもしれません。ある程度大きくなるまでは、肩に負担・刺激のある運動はなるべく避けて下さい。」その夜、病院から帰る道々、妻は泣き崩れてしまいました。

 (つづく)

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