その後、最終学年の試合結果は・・・、春の都大会はやはり実力どおり1回戦負け。第1シードで臨んだ夏の区予選は3回戦で「0-1」の惜敗、チーム全員悔し涙でしばらく立ち上がれませんでした。クラブチームでは、準優勝2回、3位1回、優勝2回。中学生活最後の大会は優勝で有終の美を飾り、息子はその大会で「最優秀選手」に選ばれる名誉まで頂くことができました。
最後の大会、表彰式で「最優秀選手は・・・」と呼ばれた時には、やはり息子以上に私が感激したのは言うまでもありません。(笑)
その後、チームメイトはそれぞれの進路を歩んでいます。エースOY君は、軟式ですが入学した高校で1年から背番号「1」を背負って頑張っています。息子を野球に誘ってくれたNY君は、現在北関東の某高校へ野球留学し、ショートのレギュラーを掴み取っています(甲子園まであと一歩!)。本文には出てこなかったのですが、副キャプテンとして息子とともにチームをまとめていたIS君は、今年南関東で“騎手デビュー”の予定です。クラブチームでエースだった子は、高校で陸上へ転向し、今や陸上部のキャプテン。他のチームメイトも何人かは、息子と同様に野球を続けています。・・・みんな落ち着いたら一度、「同窓会」でもやろうと思っているようです。
息子の野球経験は、「甲子園を目指そう」などと言うレベルにはとてもありませんでしたし、本人もその実力は全くありません。でも、小さな目標をひとつづつクリアしながら、また次の目標に向かって努力を積重ねていくことは出来たと思います。甲子園なんて夢の夢ですが、私はこれで満足です。
たまたま息子は、小学校のころからの努力が実を結ぶ場面があったのかもしれませんが、やはり結果が出ない時には「焦り」もありました(父親のほうが?)。でも、努力しなければ結果は生まれなかったと今でも信じていますし、“努力したこと”を含めて「野球」だったと思っています。
高畠宏導さんの言葉、「平凡の繰り返しが非凡になる」。・・・野球のレベルは到底及びませんが、私にとってはとても勇気づけられる言葉です。
今年高3の息子は、今でも高校野球をやっています。中学校以上に「弱小チーム」ですが、弱音を吐かずに頑張っています。最終学年ですから、春の大会と甲子園予選の2大会を残すのみですが、自分もチームも思い通りに上達できていないようです。もはや、私が指導することもありませんが、最後の年にいい思い出を作って終わって欲しいと切に願うばかりです。
息子がケガをしてからここまで、色んな方に助けられました。丁寧に長期間に渡って肩の治療をして頂いた病院の先生、幼稚園でいじめられっ子だった息子を厳しく指導して頂き、最後は集団演技のリーダーにして下さった元自衛隊先生、野球が下手くそな息子に大きな自信とともに「ゴールデングラブ賞」をくれた小学生チームの監督、捕手として根気よく使ってくれた中学チームの監督、リーダーシップの大切さを教えてくれた中学野球部顧問の先生、息子を我が子以上に親身になって教えてくれた(息子を野球に誘ってくれた)NY君のお父さん、野球の厳しさを教えてくれたFコーチ、カミさん、そして一緒に戦ったチームメイトのみんな・・・。ちゃんとお礼を言ったことのない方も大勢いらっしゃいますが、本当に感謝しています。
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私は「何故、息子が急に野球を始めるようになったのか」ずぅ~っと不思議に思っていました。最近、妻と話す機会があったので、そのことを聞くと意外な答えが返ってきました。
妻は、息子のケガがまだ完治しなかった時でもずっと、「いつか野球をやらせたい」と思っていたそうです。やはり息子たるもの、父親と上手くコミュニケーションすることが絶対必要だと考えていたのだそうです。ですから、私の生活が荒れていた時でも、折に触れて息子に「お父さんは野球の選手だったんだよ。大学ではキャプテンまでやっていて、上手なんだよ」と吹聴していたそうです。それ以外でも、子ども達にはいつも「お父さんは立派だ」ということを“マインド・コントロール”していたんだとか・・・。
あの頃を振り返ると、とても恥ずかしくて「立派」なんて言葉は出てこなかったはずですけど、いつも妻は家庭と子どものことを考えてくれたと思うと、胸が痛くなりました。そんなことにも気がつかず、知らなかった自分が腹立たしくもあります。
私は自分のブログを始めた時、自分の息子や娘のことはなるべく書かないようにしようと思っていました(ネタがない時、ついつい書いてしまいますが)。それが今回、息子のことを書き残そうと思ったのは、妻から聞いた「息子の野球好きの秘密」がキッカケでした。
・・・本当に、妻には一番感謝しなければいけません。
(おわり)

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