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3.ユニフォーム(2)

 祖母との二人きりの生活になってから、やはり寂しさを紛らすためだったからなのか、学校から帰ってきくるなりランドセルを放り投げて、すぐに公園へ遊びにいく毎日だった。

 

 家の前の公園はガキ大将を頂点として、絶対的な「年功序列の世界」。当時小学3年生の私などは下っ端、グランドで野球をするなどもっての外だった。

 そこで熱中したのが「ビー球」。ルールなど忘れてしまったが、勝てば相手のビー球が貰えるが、負けると取られてしまうシビアな掟だった。

 しかも、野球に飽きた上級生がビー球遊びに参戦してくると、ひとたまりもなく、ビー球を根こそぎもっていかれる。自分勝手なルール変更があっても、そんなのお構いなし。私はいつも泣きながら家に帰ったのを覚えている。

 当時はビー球と言っても子どもにとっては高級品。近所のおもちゃ屋へ行って買ってもらうなんて、滅多になかったように思う。泣きながら家へ帰ると、祖母が「また買ってあげるからね」と言って慰めてくれるのだが、買ってもらう度にガキ大将に取られてしまい、また泣いて帰ってくる始末だった。

 

 公園での花形は、やはり「野球」だった。普段は見ているだけだったが、たまに人数が少なくなると「お前、キャッチャーやれ」と、私のビー球を取ったガキ大将が私に命じた。

 あの頃は、ポジションと言えばやはりまずサードが決まる。守るのは当たり前のように町一番のガキ大将だったが、やはり身体も大きく不思議と野球も上手だった。・・・野球が上手だったから、ガキ大将になれたのかもしれないけど。

 そして次はピッチャー、ファースト、ショート、セカンド、外野・・・、最後までキャッチャーは決まらない。そして、人数が少なくなると私に「キャッチャーやれ」と声が掛かるのだ。

 

 キャッチャーと言っても、防具などは当然ないし、面なんかも見たことない。だから成り手がいなかったのだが、しかも6年生の投げる球はとてつもなく速い。打者の後ろに座って捕るなど無理なわけで、2mくらい下がって、とにかくボールを道路まで出さないようにするのが私の役目。

 

 ピッチャーやるのは近所の大工の倅。背が大きく、球は速いのだがコントロールが滅茶苦茶。ワンバウンドで身体に当たるなんてことは普通で、股間や顔面にも何度も当たる。でも、ビー球取られて泣いた私も、こと野球でボールが何度身体に当っても不思議と泣くことはなかった。

 「いまのアウトだって」

 「いや、足が早かったって、絶対セーフだぞ」

 他愛のない子どもの草野球だったが、試合の勝ち負けにはとことん拘った。と言うか“喧嘩で中断”なんてのは当たり前、喧嘩別れになってしまって“試合放棄”なんてこともあった。でも、また次の日には仲良く試合をするのだがが・・・。

 たまに私がキャッチャーフライなんかを捕ると、ガキ大将から褒められ、それでチームが勝つと一緒になって喜べる。今まで経験したことのない気持だった。いつの間にかキャッチャーのレギュラーとなっていたが、正確に言うとバッターの後ろに立っている「球拾い」。

 それでも、毎日、毎日公園へ行き、いつも球拾いキャッチャーをやらされていたが、それが楽しくて楽しくて仕方なかった。

  

 こうして私は、徐々に公園の階級社会に馴染んでいったが、まだまだ打たせてもらいほど甘い縦社会ではない。下っ端はいつも球拾いだ。・・・それでも、「野球の虜」になるには、さほど大きな問題ではなかった。

Bidama

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